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by 本和堂
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思い出の名列車(1) 急行「軽井沢」中軽井沢行

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●もしかして迎えに来ました?
昨晩、40年も前に亡くなった親父の夢を見ました。
生徒会の会長、野球部のキャプテン、日大の芸術学部と華やかな学生時代を経て地元の某新聞社に入社し、私が産まれる頃には東京支局の国会担当記者として活躍をしていたという中々派手な人生を送った親父なのですが、なぜ今頃夢枕に・・・?

「もしかして迎えにきました?」
親父は何も語らず、ただ笑って軽井沢らしい場所で自転車を漕いでいました。
声が聴こえないのは私の頭の中にある親父の音声データが失われているから仕方ないことなのですが、死んでも軽井沢でサイクリングしているとは、いろいろな意味でスゲー親父なのでございます。

私が未だ物心もつかない頃に逝ってしまった親父についての数少ない記憶・・・特に急行「軽井沢」号についての記憶を吐露して、軽井沢に居るらしい親父の供養としたいと思います。
なおタイトルの「思い出の名列車シリーズ」については既に別のブログにて公開済なのですが、増補・改訂を行いながら順次、ご紹介させていただく予定としております。
(今回の記事中の写真については全て、Wikipediaより借用しております)

●大逆転!セレブな夏休み
新聞記者なる職業、当時は週休二日どころか日曜日の休みもろくに取れない過酷な職業だったようで、たまの休みも国会議員センセーのゴルフのお相手や、「息子をXXXに入れてくれないか」「XX違反をもみ消すよう力を貸してくれないか」等、今ではとても考えられないような陳情のツナギ役をさせられたりしておりました。
そんなお手伝いをすることで、センセーからは「特ダネ」を貰えたりしていた訳ですが、これも今の常識では考えられない世界でございます。

「親父は全然、何処にも連れて行ってくれない」、これにイライラしていたのは子供達だけではなかったようで、ストレスを溜め込んだ母が親父を説き伏せ、夏休み最後の週に「一週間休暇」を取らせる事に成功しました。遊びに行く場所はなんと軽井沢の別荘!なんでも富山県財界の偉い人の別荘を一週間自由に使って良いという事になり、一般サラリーマン家庭では到底味わわない「セレブな夏休み」に家族全員胸を膨らませていました。

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●生まれて初めてのグリーン車
上野駅9:53 急行「軽井沢」号 中軽井沢行
眠たげな親父に上機嫌のお袋、兄と私4人はなんと、グリーン車に座っていました。
「滅多にないことだから」
派手好きの親父の意見により我々は過分にもグリーン車の乗客となり、それでも座席を向かい合わせにして4人がチマチマ固まってババ抜きなんかをしておりました。
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11時過ぎ、電車は横川という山間の駅に到着。
「7分ほど停車します」のアナウンスがあると、親父は「ちょっと待ってな」と言い、列車を降りていきました。
5分過ぎても親父は帰ってこず、さすがに親父の事が気になり始めた頃ようやく親父が釜めしを抱えて戻ってきました。
「次の次の駅で降りるから、すぐに食べなさい」
初めて食べた駅弁、珍しいやら嬉しいやら・・・、とても美味しかったと記憶に残っています。

横川駅から先は、電気機関車に牽かれてノロノロ坂を登っていきます。
事故防止のために空気バネをパンクさせていた影響なのでしょう。やたら「ガタン・ガタン」と乗り心地が固くなったのも記憶しています。
(註:碓氷峠は当時、国鉄で最も急な勾配を走る区間であり、「軽井沢」号は電気機関車に引っ張られながら30キロ程度で坂を登っていました。勾配が急過ぎて台車が車体から浮き上がってしまう事を防ぐため、サスペンションの空気を抜いてこの区間を走っていました)
山が迫りすぎているためか、景色もそれほど良くないし、速度は遅いし乗り心地は固い・・・、「やっぱり急行は遅いな。なんで特急にしてくれなかったんだろう?」
国鉄側の事情を知らない私にとって「軽井沢」はそれほど良いイメージの列車とはなりませんでした。
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軽井沢駅で車内の乗客がほぼ全員が降り、回送同然となった列車は次の中軽井沢駅に到着しました。
ここからは田舎道をテクテク・・・・、20分も歩いたでしょうか、ようやく某財界人S氏の別荘に到着しました。

●タダほど高いものはない
S氏の別荘に到着してビックリ。
玄関には鍵がかけられ、雨戸は全て閉まっている状態。管理人さんのところに行き鍵を貰い、中に入れば埃っぽいしカビ臭い・・・
「取り敢えず別荘の管理人さんのとこ行ってくるから、掃除しといて」
親父はそう言い残し、夕方までバックレてしまいました。

雨戸を全て開け、ブツブツ言いながら母は掃除を始めました。
母が思うには、別荘の管理人さんが全ての準備を済ませてくれていて、「料理だけ作れば」と思っていたみたい。
私と兄は雑巾を持ってあちこち拭いているふりをしながら母の不機嫌が収まるのを遠巻きに伺っていました。

すっかり日も暮れた頃、管理人さんが運転するライトバンにレンタルの布団を積んで、親父が戻ってきました。
「オニギリくらいしか無くってさぁ」
親父は大量のオニギリで母のご機嫌回復を図りますが、もちろん逆効果。
テレビもなく、ただただ静かなだけの軽井沢の別荘・・・、逃げ場のない親父がその後どうなったのかは知りません。
私と兄は「早く寝なさい」と追いやられましたんで。

●悪い、仕事入った
昨日の罪滅ぼしなのか、翌日は朝から鬼押し出しや草津温泉で観光三昧。
晩御飯の食材を大量に購入して別荘に戻ったら、親父が突然、「悪い、仕事入ったから東京に戻るわ」と一人で東京に帰ってしまいました。
軽井沢滞在はまだ5日もあるし、テレビも何もない退屈な環境に置いてかれた母と兄と私・・・、
「無責任男」
この時の経験からなのか、母は親父の事をしばしばこう呼びました。

註:実は「東京に戻る」は嘘で、富山に居た不適切な関係の女性と宇奈月の旅館に行っていたことが後に判明します。その時の修羅場については、「墓場に持って帰る」と母は最後まで語ろうとはしませんでした

●天罰?
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恐ろしく退屈だった別荘滞在6日目、前の晩ひょっこり戻ってきた親父が「サイクリング行くぞ」と何処からか自転車を3台用意してきました。サイクリングの目的地は北軽井沢にある「白糸の滝」、別荘からは6~7キロ離れた場所にあるそうです。
一番小さい私は親父の自転車の後ろ。小学生の兄貴には少しシンドイ距離なのですが、美しい白樺の道のサイクリングは楽しく兄も元気に滝見台まで到着しました。
滝を見ながら持参のオニギリで昼食。
「そろそろ帰ろうか」と別荘にペダルを漕ぎ出した頃から、突如天気が崩れ雨が降り始めました。
雨は強くなりゴロゴロと雷も鳴る最悪な天気の中、全員びしょ濡れ、ヘトヘトになって別荘に戻りました。そしてなぜか全員笑っていました。

苦しい時、シンドイ時に笑える強さ・・・、
私の家族が一番幸せだった瞬間、もしかしたらこの時だったのかもしれません。

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by honwa-do | 2017-04-02 05:22 | 旅行 | Comments(0)